紅茶雑学

【紅茶の日】日本人が初めて知った紅茶文化はロシア式?

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koure日本紅茶協会が1983年(昭和58年)に定めた記念日が紅茶の日です。
初めて聞く人はどのような印象を持つでしょうね?
初めて紅茶が日本に伝わった日? 初めて日本で紅茶が飲まれた日?
答えはどちらも不正解で、「初めて外国の茶会に日本人が招かれた日」らしいのです。
招かれた人物は「大黒屋光太夫」、招いた人物は「ロマノフ王朝第8代女帝・エカチェリーナ2世アレクセーエヴェナ」、らしいのですが、実際に史実であったかどうかは定かではありません。
大黒屋光太夫は、1782年(安永7年)の12月に駿河沖で遭難し、7か月後にアリューシャン列島に漂着、10年後の1792年(寛政4年)に帰国するという激動の人生を送った人物ですが、史実では帰国の前年、1791年(寛政3年)に、前述のエカチェリーナ皇帝に謁見しています。
ところが、光太夫に関して記録された資料(「北様聞略」など)には、光太夫が帰国の手土産としてお茶を持ち帰った事や、ロシアではお茶を飲む風習があるという記述は残されているのですが、茶会に招かれたという記述はどこにもないのです。
従って、この紅茶の日というものが史実に基づいた制定ではなく、大抵のサイトも「らしい」と言う言葉を使って憶測を含んだ説明をしています。
さて、その大黒屋光太夫が招かれた(かもしれない)茶会ですが、実は本場の英国式ではなくロシア式だったようです。
ロシアの紅茶の歴史は17世紀にまで遡り、その時の皇帝ピョートル一世が清国との国境策定を行った際、清国側が手土産として送った紅茶がきっかけと言われています。
欧州経由ではなかったのですね。
ただ、お茶を飲むと言う習慣自体は、ロシアは長らくモンゴル系のタタール人の支配を受けていましたので、以前より存在したと言われています。
その後ロシアで紅茶が広まったのは、実は三代に亘るエカチェリーナを含めた女帝の時代が続いたからだと言われていて、欧州では女人禁制とされていたコーヒーハウスに替わって茶会(ティーパーティ)が女性によって花開いたことで、この文化が女帝時代のロシアに広まって浸透したというわけです。
さらに光太夫がロシアに漂着した18世紀には、その後のロシア式紅茶文化の形を決定づける「サモワール」と呼ばれる金属製の湯沸かし器が登場しています。
石炭や木炭で熱々に熱せられたサモワールの中の煮込んだ紅茶葉に、ジャムやレモンスライス、寒い時期にはラム酒を添加(ミルクなし)して客人に振る舞うロシア式茶会に、光太夫が実際に招かれたかどうかは定かではありませんが、仮に招かれたとしたならば、英国式とはかなり違った茶会だったことは間違いないでしょうし、巨大な金属製の湯沸かし器にさぞかし驚いたことでしょう。

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